石板で1000年後に残す、
あなたのアーカイブ。

昔から人は、残したいことを石に刻んできました。
句碑も、記念碑も、誰かの人生を刻んだ碑もあります。
ISHIBUMIは、それをいまを生きる一人ひとりのためにつくります。

生きているうちに、
本人がつくる

お墓や墓誌は、遺された人がつくるものです。ISHIBUMIは、本人が元気なうちに自分の言葉で残します。

1000年もつ
石に刻む

紙は傷み、データはいつか開けなくなります。石なら、何百年前の碑がいまも読めます。

山を歩きながら
話す

ピンマイクをつけて山道を歩き、話したことを録音します。机に向かって書く必要はありません。

石碑は、ずっと人の記録だった

佐村福槌君夫妻之碑

石碑は、ずっと人の記録だった

言葉を刻む

言葉を刻む

高浜虚子の句碑

こんな方に

done

会社を卒業する、定年を迎える

done

独立・起業した、ひと区切りついた

done

自分の話を、子どもや孫にいつか読んでほしい

done

仲間と一緒に、形に残るものをつくりたい

done

親の話を、元気なうちに残しておきたい(検討中)

なぜデジタルではなく
「石」なのか。

Why stone?

  • 圧倒的な保存性

    現代の電子記録媒体(クラウド、フラッシュメモリ、HDDなど)は、規格・サービスの絶滅やハードウェアの風化、意図しないデータ消去といった「危うさ」が常に付きまといます。 これに対し、石は木のように腐ることも紙のように燃えることもない「最強の記録媒体」です。数千年の時や過酷な風雨に耐え抜き、文字や想いを劣化させることなく永遠に残し続ける、比類なき不滅性を持っています。

  • 心理的なアンカーとしての重み

    クリック一つで簡単に送信や削除ができるデジタルなメッセージは、手軽である反面、心理的な重みがありません。 自分の想いを内省して言語化し、石に刻み、実際に自分の足で山を登って納めるという「身体的経験)」や設置に臨む儀式は、記憶の定着に強く寄与します。この五感や身体を動かす一連のプロセスを経るからこそ、デジタルの軽さにはない、心と大自然を繋ぐ一生ものの「アンカー(拠り所)」としての強い重みとカタルシス(完了感)が生まれます。

  • 経年変化と唯一無二の物質的ロマン

    劣化や不均一な個体差をエラーとして排除しようとするデジタルの世界に対し、天然の石は二つとして同じ模様や石目が存在しない、完全な「唯一無二の個性」を持っています。 さらに、年月とともに風雨にさらされ、気候や湿度によって風合いが変化していく「わびさび」のプロセスそのものが、流れた時間を視覚的・触覚的に証明する強力な証跡(メタデータ)となります。デジタル社会の最前線で日々膨大な情報に囲まれている現代人にとって、この「手触り感のある物理的なロマン」と「デジタルとの鮮烈なコントラスト」そのものが、計り知れない充足感をもたらす体験価値となります。

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